大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)663号 判決 1971年11月25日

控訴人

小崎勇

右代理人

菊池利光

ほか三名

被控訴人

右代表者法務大臣

前尾繁三郎

右指定代理人

小川英長

ほか二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金五三四万円およびこれに対する昭和三五年七月二九日以降支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用および認否は、次に附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴代理人は、次のように述べた。

1  かつては国家の作用のうち非権力的作用中純然たる私経済的関係に立つ場合の損害については、私法の適用があるが、その他の作用についてはすべて国に賠償の責任がないとしていた。しかし、その後人権思想の発達に伴い、特別法が存しないのに非権力的作用の全般につき判例によつて私法を適用し国の賠償責任を認めるに至つた。この理論を更に一歩前進させるならば、国の権力的作用についても私法の適用を認めることが、かえつて正義公平の原則に合致する。

2  明治憲法は、君主主権の立場に立ち、一応は近代立憲政治の原則にのつとり国民の権利と自由とを保障することを建前としながら天皇の名において行なわれる行政等の公の活動は絶対化して考える傾向が強く、それらの活動によつて個人の権利や自由を侵害することがあつても、個人相互間の関係を律する民法の適用はなく、特に定めがない限り国に対して不法行為を理由に賠償を求めることはできないと考えられ、国民の権利と自由の実質的保障は与えられなかつた。明治憲法下においては、もと、かような思想が支配し、国の不法行為については、ようやく、非権力的作用についてのみ民法の適用が認められはしたが、権力的作用については絶対に認められなかつた。しかし、いかに明治憲法下であつても、昭和の時代になると右の思想の誤りであることは明らかになつた。

3  本件については、従前の大審院が採用していた法解釈を改め、当然民法を適用すべきである。

二  証拠<略>

理由

一控訴人が昭和二一年七月六日午前五時頃、いわゆる八丈島老女殺し事件(以下、本件八丈島老女殺し事件という)につき山本勝との共犯容疑で八丈島警察署に連行され、同月二三日まで取り調べを受け、同年八月二九日山本勝とともに身柄を東京警視庁に移されるまで八丈島警察署に留置されたこと、東京刑事地方裁判所検事局検事が同年九月七日控訴人および山本勝を控訴人主張のような公訴事実により予審請求をしたこと、同年一二月二七日予審判事が東京地方裁判所の公判に付する旨の決定をしたこと、同裁判所が公判審理を経て昭和二三年一月二六日原判決添付判決目録(一)記載のとおり有罪判決を下し、これに対し控訴人両名が控訴したが、昭和二六年六月二日東京高等裁判所において再び原判決添付判決目録(二)記載のとおり有罪判決を受け、上告した結果、昭和三二年七月一九日最高裁判所第二小法廷において、「原判決を破棄する。被告人両名は無罪」との判決を受け、同判決がその後確定したことはいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、昭和二一年八月二九日東京刑事地方裁判所検事局検事が住居侵入強姦致死の罪名で同裁判所予審判事に対し、起訴前の強制処分として控訴人および山本勝の訊問ならびに勾留を請求し、翌三〇日、予審判事が右両名に対し勾留訊問を行なつたうえ、勾留状を発し、東京拘置所に勾留し、右検事が同年九月六日控訴人を翌七日山本勝を取り調べたことが認められる。

二控訴人は、前記警察官の捜査、検事の予審請求および予審判事の公判に付する旨の決定は、いずれも故意または過失による違法行為であり、控訴人は、これらの行為により損害を蒙つたので、第一次的に国家賠償法により、第二次的に民法七一五条により、被控訴人に対し、その損害の賠償を求めると主張する。

1  昭和二二年一〇月二七日施行の国家賠償法附則六項によれば、同法施行以前の行為に基づく損害については、同法によつてその賠償を請求することはできないと解すべきところ、前記争いのない事実に徴すれば、控訴人が違法であると主張する昭和二二年法律一九六号警察法施行令(昭和二三年三月七日―同月六日政令五〇号)前の警察官吏、検事および予審判事の各行為はいずれも国家賠償法および新憲法施行前になされたことが認められるのでこれらの行為に基づく損害につき国家賠償法によつてその賠償を求める控訴人の第一次請求は、その余の判断を加えるまでもなく失当であるといわなければならない。

2  次に、控訴人の第二次請求について判断する。国家賠償法施行以前においては公務員の不法行為に基づく国または公共団体の不法行為責任につき、権力的作用と非権力的作用とを区別していたのであり、非権力的作用に基づく損害については私経済的関係におけるものから非権力的公行政におけるものへと次第に不法行為の規定の適用範囲を拡大し、国または公共団体の責任を肯定する考えが有力であつたが、権力的作用に基づく損害については、特別の規定がないかぎり、私法である不法行為法の規定は適用されず、したがつて国または公共団体は賠償義務を負わないと解すべきである。そして前示のような権力的行為について国の賠償義務を認める特別の規定は存在しなかつたのである。それ故控訴人のこの点に関する国家無答責の理論は、昭和の時代においては誤りであるとの論は採用できないところである。

控訴人は、さらに、前記のようないわゆる国家無答責の理論は、君主主権の立場に立つものであつて、わが国がポツダム宣言を受諾したことにより、もはや採用できなくなつたと主張する。しかし、国の権力的作用に基づく損害につき君主国なら国家無答責、民主国なら国家責任が認められるべきであるという根拠はないし、わが国がポツダム宣言を受諾し、憲法一七条、七六条二項の規定が設けられたというだけの理由で国家の権力的作用に当然に私法である不法行為法の規定が適用されるに至つたとは解されない。

なお、控訴人は、国家賠償法施行前においても国の権力的作用について私法の適用を認めることがかえつて正義公平に合致すると主張する。しかし、国家賠償法附則六項は、この法律施行前の公権力の行使に基づく損害については国または公共団体として賠償責任を負わない趣旨に解すべきであるので前示のような権力的作用に基づく損害について、国に対し、民法七一五条により賠償を求める控訴人の第二次請求もまた失当であるといわなければならない。

三第一、二審裁判所は本件八丈島老女殺し事件について控訴人および山本勝を強姦致死の罪を犯した者としていずれも有罪判決をしたが、最高裁判所が「原判決を破棄する。被告人らはいずれも無罪」との判決をし、右判決の確定により控訴人らの無罪が確定したことは、前示のとおりである。

国家賠償法は、国家公務員の職務行為から裁判官の行なう民事、刑事の裁判を特に除外していないから、右各有罪判決は、それぞれ、同法一条の規定にいう「国の公権力の行使に当る公務員がその職務を行なうについてした行為」に該当すると解すべきである。ところで、刑事事件において下級裁判所の有罪判決が上級裁判所の無罪判決によつて取り消されてもそのことだけで右有罪判決が直ちに違法であるときめらるべきではない。刑事訴訟においては罪となるべき事実の直接証拠についてだけではなく、自白の証拠能力および信憑力に関する証拠についても、裁判官による証拠の評価につき自由心証主義が採用されているので、証拠の証明力について上級審と下級審との間に見解の差の生ずることは避け難い。そこで、下級裁判所の有罪判決が国家賠償法にいわゆる違法であるのは、裁判官の証拠能力または証明力に対する判断が裁判官に要求される良識を失し経験則・論理則上その合理性が認められないことがその審理段階において明白な場合に限られると解するのが相当である。

右の観点から、第一、二審裁判所の有罪判決が違法であるかどうかを検討する。なお、本件は、刑事訴訟法施行法二条により旧刑事訴訟法(大正一一年法律七五号)の適用される刑事事件に関するものであり、右事件に刑事訴訟法二五六条六項の適用はないから、捜査、予審の記録は、起訴状とともに第一審裁判所に提出され、その内容は第一審裁判官の知り得るところであつたのである。また、捜査、予審および第一審記録が控訴状とともに第二審裁判所に送付され、第二審裁判官の知り得るところとなつたことはいうまでもない。

第一、二審裁判所の有罪判決が原判決添付判決目録(一)、(二)記載の判決中に示された各証拠によつたものであることは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、控訴人および山本勝が、昭和二一年八月三〇日東京刑事地方裁判所において予審判事の尋問に際しそれぞれ、住居侵入強姦致死の被疑事実を読み聞かされて、控訴人は「そのとおり全部相違ありません。私達は、夜ばいに行つて強姦したのでありますが、強姦の際喉笛を絞めたため石野ヨメが死んでしまつたのであります」と述べ、山本勝は、「そのとおり全部相違ありません。私達は石野ヨメの処に夜ばいに行き、強姦したのであり、小崎(控訴人)は二回、私は一回強姦しました。同女を殺つすもりはなかつたのでありますが、声を立てられないために、喉笛を絞め、そのため同女が死んでしまつたのであります。と述べたことが認められ、また、<証拠>によれば、控訴人は、昭和二一年九月六日東京刑事地方裁判所検事局において検事に対し原判決添付判決目録(一)記載のとおり詳細に犯行の模様を自白し、山本勝は、同年九月七日東京刑事地方裁判所検事局において検事に対し原判決添付判決目録(一)記載のとおり詳細に犯行の模様を自白し、同年一〇月三〇日および同年一二月一八日東京刑事地方裁判所において予審判事に対し再びほぼ右と同旨の犯行を詳細に自白していることが認められる。

ところで、控訴人および山本勝の前記自白の経緯についてみるのに、<証拠>および原審における控訴人の供述ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。すなわち、控訴人および山本勝は、昭和二一年七月六日、強姦殺人事件の被疑者として、あいついで八丈島警察署に連行され、留置されたまま、控訴人は同月二三日まで、山本勝は、同月三一日まで取り調べを受け、控訴人に対しては一二回、山本勝に対しては六回にわたり同署司法警察員による聴取書が作成されたが、右聴取書によると、控訴人は、その第一、第二回(同年七月六日付)において自己の単独犯行であると、第三回(同年七月八日付)以降において山本勝との共同犯行であると認め、山本勝は、第一回(同年七月六日付)以来控訴人との共同犯行を認めていたと記載されていること、犯行日時について、控訴人は、当初昭和二一年四月三日夜と述べていたが、第七回(同年七月一六日付)以来同年四月四日夜と述べ、山本は、第二回(同年七月七日付)二か月位前の夜であると述べ、第六回(同年七月三一日付)同年四月の初めか中頃であろうと述べたこと、控訴人に対しては同月二四日以降、山本に対しては同年八月一日以降、取り調べがなく、令状によらない留置がそのまま続けられ、同月二九日控訴人および山本はともに身柄を警視庁に移されたこと、同日東京刑事地方裁判所検事局検事は、住居侵入強姦致死の罪名で、同裁判所予審判事に対し起訴前の強制処分として控訴人および山本勝の尋問と勾留を請求し、翌三〇日予審判事は勾留尋問を行なつたうえ勾留状を発し控訴人および山本勝を勾留したが、前記控訴人および山本勝の予審判事に対する同日の自白はこの段階において行なわれたのであり、次いで、控訴人は、同年九月六日、山本勝は翌七日東京刑事地方裁判所検事局検事に対しいずれも前記のとおり犯行の模様を詳細に自白し、かくて、控訴人および山本勝に対し同検事から予審請求がなされると、控訴人は、それまでの自白を全面的にひるがえし、予審および第一、二審を通じて本件犯行を否認するに至り、山本勝は、予審においては同年九月二一日には否認し、同年一〇月三〇日には自白し、同年一二月七日、同月一一日には否認し、同月一一日保釈になつたのち同月一八日にも自白し、第一、二審の公判を通じ本件犯行を否認していること、以上の事実が認められる。

控訴人は、控訴人の司法警察官の面前における共同犯行の自白も犯行日時を改めた自白の拷問によつて強要された任意性を欠くものであつたから、控訴人が予審判事に対し勾留尋問の際なした供述およびその直後検事に対してなした供述も勾留の直前まで継続していた不法留置とその間における自白の強要からなんらの影響を受けなかつたとはいえず、いずれも任意性に疑があり、控訴人が犯行日時を改めたのも司法警察官の想定にそうよう作為された疑があるから、司法警察官吏に対する自白と内容を同じくする控訴人の前記予審判事および検事に対する各供述は信憑力に疑があることは明らかであるのに、右各供述を証拠として有罪判決をした第一、二審裁判官らの判断は違法である旨主張する。しかしながら、大鹿春仁、峰岸演二両巡査らが七月六日、た同月八日の両度にわたり、控訴人を蹴つり、殴つたりして自白を強要したか否かについては、これを肯定する前顕甲第一二号証の一ないし三、同第二一号証の一、二、同第三二、第三三号証の予審および第一、二回公判における控訴人の供述記載、原審における控訴人の供述、「ビンタ」を喰わせ胸を押したことにつき一部肯定する成立に争いのない甲第一七号証の予審における大鹿春仁供述記載、横ビンタを喰わせたことにつき一部肯定する成立に争いのない甲第一八号証の予審における峰岸演二供述記載、昭和二一年七月六日午後三時過頃八丈島警察署附近で同署道場からワーワーと子供のような大きな声を聞いた、その声は控訴人の声に似ていた旨の成立に争いのない甲第一五号証、第二二号証、第二九号証の一、二の予審、第一、二審における証人浅沼(奥山)憲の供述記載、控訴人が検挙された日八丈島警察の演武場の横で控訴人の声に似たワンワンという泣き声を聞いた旨の成立に争いのない甲第二三号証、第三〇号証の第一、二審における証人奥山武道の供述記載が存在する一方、自分は控訴人の胸を押したことはあるが同人を打つたことも予審廷で控訴人にビンタを喰わせたと供述したこともなく、予審調書上の記載は調書の読み聞けがなかつたため訂正の機会がなかつたことによる誤である旨の成立に争いのない乙第五、第七号証の各二の証人大鹿春仁の第一、二審における供述記載、自分は控訴人に横ビンタを喰わせたことはなく、軽く叩いただけであり、予審調書の記載は調書を逐語的に読み聞かせてもらえなかつたことによる誤りである旨の成立に争いのない乙第五号証の二、同第七号証の三証人峰岸演二の第一、二審におる各供述記載、自分は昭和二一年七月六日控訴人が単独犯行の自白をするまで控訴人の旧武道場での取り調べに立ち会つたが、控訴人が泣いたことはない旨の成立に争いのない乙第六号証の一、同第八号証内田勇の第一、二審における各供述記載が対立し、控訴人が八丈島警察署で取り調べを受けた当時着用していた衣類の写真であることにつき争いのない検甲第一、二号証の各一、二によれば、シャツとズボンの諸所が破れ、汚れていることが認められるが、前顕甲第二一号証の一中控訴人のシャツが切れ、ズボンが裂けているのは、警察で取り調べられたときぶたれるのであばれ、蹴られて逃げまわつたためであるという一審における控訴人の供述記載に対しては前顕甲第一七、第一八号証中、控訴人のシャツとズボンとは初めから少し破れていたが、控訴人の取り調べが終つた時斯様に大きく破れてはいなかつた旨の予審における証人大鹿春仁同峰岸演二の各供述記載および成立に争いのない乙第五号証の一中右シャツは洗濯のため一度控訴人に返した旨の一審証人渡辺定義の供述記載が対立している。また、成立に争いのない甲第三号証(変死者検案書)によれば、昭和二一年四月六日午前一一時東京都八丈島三根村において石野ヨメの変死体を検案した医師野村正昭によつて死亡推定日時欄に昭和弐拾壱年四月三日午後拾時(推定)との記載がなされているが右三日は四日と記載し四を抹消し「野村」と刻した印を押した右側に「三」と改めることによつて行なわれていることは認められるが、もと三日午後一〇時の推定をした根拠について成立に争いのない甲第一四号証(証人野村正治の予審尋問調書)によれば、野村医師は、予審において、大体石野ヨメの屍体の死後硬変から四日に死亡したものと推定し、強姦であるから夜中の一〇時と思つたが警察が捜査の結果三日に死亡したらしいという意見を反撃する確実な証拠はなかつたから右意見に従い改めたと供述しているのに対し、成立に争いのない甲第二五号証(証人野村正治の第一審における尋問調書)によれば、野村医師は、第一審において、普通死後一五、六時間から二〇時間で起る死後硬直がヨメの屍体に起つているばかりでなく、死班、皮膚のよじれ、眼のうるみ等から四月四日午後一〇時頃と推定したが、後日渡部捜査主任から四日では日が合わぬから三日にしてくれちと言われてそうしたと供述し、成立に争いのない甲第二八号証(証人野村正治の第二審における尋問調書)によれば、野村医師は、第二審において、当初警察係官から四月三日と思うと言われたが、ヨメの屍体の硬直状態、死臭等を総合して四月四日午後一〇時と書いて提出したところ翌日警察から三日と思われるから訂正してくれと言われ、その理由は告げられなかつたが三日ではないというだけの自信がなかつたので、改めたと供述している。

他方、第一、二審裁判所において顕出、採用された控訴人の本件自白は、控訴人が自白を強制されたと主張する八丈島警察署ではなく、その身柄が東京に移されてから後になされたものであり、しかも、控訴人が八丈島警察署で取り調べを受けおわつてから一か月以上経過した後なされたものであることは前認定事実に徴して明らかであり、原審における控訴人の供述中には、控訴人は東京に出たら無実をはらしてもらえると思つていたという部分はあるが、前顕甲第二一号証の二(第一審公判調書)によれば控訴人は一審の公判廷で検事に怒鳴られたことはない旨供述していること、前顕甲第三二号証(第二審公判調書)によれば、控訴人は二審の公判廷で(検事や予審判事に調べられたとき)検事や判事が巡査でないことは判り、警官に調べられた部屋の外に出ていた旨供述していることが認められるばかりではなく、成立に争いのない乙第六号の三(第一審における証人浅沼コツル訊問調書)によれば、同証人は一審で「私の母は控訴人の祖母と姉妹ですから、私と控訴人の母シュンとは従姉妹の関係にあり、東京から来た峰岸刑事が毎日の様に私方に来て私が忙しく仕事をして居るのにしつこく色色聞かれたのでその時私は控訴人がヨメ婆さん方へ行つたことがありヨメ婆さんは私に勇は若いのに帰らず泊めてくれと言つて泊めたがしつこくて嫌な奴で困つたと話したことやある時は泊めてくれと言つたが泊めなかつたと言つたことがあるのでこれらのことを打ち明けました、その後控訴人が私方へ来たとき同人はヨメ婆さんに一〇〇円香奠をやるというので、私は親類でもなく若いくせに遣ることはないと言つてやめさせました。私としては、一〇〇円もの金を出そうとしたのでその時どうしてそんな金を出そうとするのかと不思議に思いました。それから私の五男義道方で控訴人がヨメ婆さんは何故死んだのだろうと言いましたので私が自殺だろうという意味のことを言いますと、控訴人は、どうかそうして置いてくれそう言わないと自分が調べられて困ると言いました」旨供述していることが認められ、成立に争いのない甲第二二号証(第一審における証人浅沼憲の訊問調書)によれば、同証人は、一審で、「私は、控訴人から誰が警察に検挙されたかと聞かれたことはありませんが、同人が私方へ来たとき私の方が何気なく同人に雑賀が挙つていると言つたところ控訴人は雑賀だとそれは大きな声で言いましたので、私は控訴人にそんなことを言うと警察に言つてやると冗談に申しました」旨供述していることが認められ、成立に争いのない乙第六号証の二(第一審における証人田村義雄の訊問調書)によれば、同証人は一審で、「昭和二一年七月五日頃広井モヨの処へ行つたとき峰岸刑事と一緒に歩いていますと控訴人が私に犯人はどうなりましたかと聞いたので私はまだ捜査中であるから捕まらないが中之郷村方面は既に捜査しているので自分の方でもやる心算だと言いました。この時の控訴人の態度は本当にあつたのだろうかと他人事の様にして聞いて居るように感じました。」と供述している記載があり、成立に争いのない乙第六号証の五(第一審における証人田代次子の訊問調書)によれば、同証人が第一審で「私は石野ヨメから控訴人のことを嫌な執拗い男だというようなことを聞いて居り控訴人がコツルさん方へ来たときヨメさんに煙草を一本だつたかやつていたことがあり、私は変だと思いました。」と供述していることが認められ、成立に争いのない乙第四号証の二(予審における証人李金山の訊問調書)によれば、同証人は、予審で、「私は昭和二一年八月頃警視庁の監房に居り最も古い関係から総監房長をして居りましたが誰からともなく八丈島の老婆殺しの犯人が入つて来たという噂が耳に入つたので第九号房に立ち寄り窓の外から犯人を呼び出した。その犯人は自分は島の六十いくつかになるが五十そこそこに見える綺麗な婆さんの所に今一人の男と一緒に行つた。婆さんは抵抗したので紐か何かで頸を絞めた。自分が関係してから別の男が関係した。自分がやつている間別の男は婆さんの足を押えていたと申しました。それからどういう風にしてやつたかと実演させると、同人はズボンを履いたまましやがんで女に乗りかかり右手で頸を絞める風をしました。以上の同人の言葉および態度には少しも不自然な様子はありませんでした。私は馬鹿なことをしてはいけないと注意を与えてから別の犯人の居る第七房か八房に行き同じ様な問をすると同人も犯行を認めていたので、之にも注意を与えました。私に最初回答した犯人は控訴人に間違いありません」と供述していることが認められる。

以上の事実関係のもとにおいて、控訴人の本件自白の任意性、信憑性はこれを肯定し得る証拠とこれを疑わせ、否定すべき証拠とが一審においても二審においても対立していたのであり、本件自白がいずれも控訴人が拷問を主張する八丈島警察署を離れた東京で判検事の面前でなされたものであり、さらに、その任意性、信憑性を裏付ける証拠もあつたのであるから、第一、二審裁判所が予審段階における野村正治の供述を記載した甲第一四号証をさしおいて第一、二審段階における各供述を記載した調書を前記補強証拠とともに証拠に採用し控訴人の本件自白の任意性、信憑性を肯定したからといつて、直ちに、採証の法則を誤り経験則上合理性が認められない場合とはいえないし、また右の判断が裁判官に要求される良識を失つているとはいえないから、控訴人に対する有罪判決が違法であると断ずることはできない。

次に、控訴人は、山本勝の本件自白は変転定まりなく、精神薄弱者の迎合的自白として信憑性を欠き、ことに犯行現場のランプは最初控訴人がやるとき消したと思う旨の供述部分は犯行のあつた室が一見整然としていた事実に矛盾するものであるから、同人の自白に信憑力を認めて有罪判決の証拠とした第一、二審裁判官らの判断は違法であると主張する。

なるほど、前顕第二一号証の一(第一審における第二回公判調書)には、同人が一審で、昭和二一年七月六日八丈島三根村所在鰹節製造場において大鹿春仁刑事から石野ヨメ婆さんを殺したろう。やつたといわなければ警察に連れて行くといわれたのでやつたといえば警察に連れて行かれないと思つて婆さんを殺したと言つた旨供述しており、成立に争いのない甲第一八号証(予審における証人内田勇訊問調書)には同人が予審で昭和二一年七月六日朝山本林市方において大鹿部長の傍から「お前行つたのだろう。」と山本勝に聞いたところ、変な顔をして返事をしないので、「どうだ、正直に言え。正直に言えば何でもないのだ。言わなければ警察に引つ張つて行く。」と言つた。すると、勝は、「勇と一緒に行つた。そしてやつた。」と言つた旨供述しており、前顕甲第一三号証の一、第二六号証、第三二号証によれば、山本勝は、予審、第一、二審で同人が八丈島から東京に送られる少し前八丈島警察署内の便所で会つた控訴人から二人は殺さないのだから「うまく話を合わそう」(予審)、「どこまでもやらないといおう」(一審)または「頑張ろう。」といわれた旨供述しており、原審において証人山本勝は、同人が八丈島から東京に送られる前、便所で控訴人に「やつてないから頑張つてくれ。」と言われたので、これに対して「うん」と言つた旨供述している。また、前顕甲第二六、第三二号証によれば、山本勝は第一、二審において、身柄が東京に移されてから、起訴される前に取り調べられたが、それが予審判事や検事の調べであることはわからず、やつたといえば島に帰してくれると思い嘘の自白をした。予審第二回の調べのときやつたと言つたのは、予審判事に、「早く帰すからやつたならやつたといえ。」といわれたからである、旨供述しており、さらに二審では、その後保釈されてから予審第五回の調べのときは、否認すると島に帰れなくなると思つて嘘の自白をした旨供述している。そして、成立に争いのない甲第九号証(予審における鑑定人菊地甚一作成の鑑定書)によれば、鑑定人菊地甚一は、予審において、「被告人山本は智能においては精神薄弱と診断するに躊躇しない。……至極平穏な愚か者である。一般に低能者の意思は他人によつて影響され易いのが常で、殊に被告人山本のような平穏な低能者にあつては、常に意志作用に動揺性があつて、他より強制を受くることが容易に行なわれることも首肯できる。すなわち、意思の被影響性が常に亢進している状態にあると言つてよい。」「被告人山本勝はその感情生活においても智能の発育不良の程度に準ずる異常があり、……被告事件の成り行き等について焦慮する様子もなく、……事案に因る刑罰に対しても理解や恐怖の念等はさらになきものの如く、さればこそ自白すれば直ぐ帰宅が出来ると考えていることなども被告人らしい感情の動きである。」旨の「考察及び説明」ならびに「現在証」を含む鑑定書を提出していることが認められる。

しかしながら、前掲甲第二六号証によれば、山本勝は、第二審において、「予審判事はこわくありませんでした。」と供述していることが認められ、前掲甲第一三号証の三、成立に争いのない甲第二、第三号証および原審証人山本勝の供述によれば、山本勝は予審判事の面前において同人が行つたことがないという石野ヨメ方の図面を描き、これがほぼ被害現場の検証調書添付図面と符合していたこと、が認められ、前認定のとおり山本勝は八丈島警察署ばかりでなく、身柄を東京に移された後検事および予審判事に対しても詳細な自白をしているのであり、ことに、前顕甲第九号証(昭和二一年一一月二五日付鑑定書)、第一三号証の五(同年一二月一八日付訊問調書)によれば、予審判事が山本勝は「先天的に精神発育状態に異常があり智能低下著しく、精神薄弱と診断するもので、公訴事実記載の本件犯行当時ならびに現在においては軽度の精神障礙を有するものと思料する。記憶力及影響性については異常を有するものではない。」との鑑定主文を含む鑑定書(甲第九号証)を読んだうえ、山本勝の精神状態につき十分注意して訊問したのに対し同人が本件犯行を自白していることが認められ、また、前認定のとおり山本勝は保釈された後においても自白しているのであり、成立に争いのない乙第五号証の一によれば証人渡部定義は一審公判廷において同人は、当時八丈島警察署捜査主任であつたが、本件につき山本勝に対し、「現場には電気があるじやないか。」と問うと現場はランプだつたと答え、右の答は電灯の設備がなく、石油の豆ランプ一個の転がつていた現場の状況に符合していたし、現場の間取りなどを描いたが、その図面も現場の状況に合致していた。」と供述していることが認められ、前顕甲第九号証によれば、予審において鑑定人菊地甚一が山本勝につき作成提出した鑑定書には、「考察及び説明」として、「智能も計算能力は著しく劣つているが、必ずしもそうでない部分があつて、郷村、週、月日、季節、歴史的事実などについては比較的良く、存在の認識は、自己、時、周囲、場所につき正確であり、記憶能力も良く、記銘力もさほど劣つていない。山本勝の意思の影響性については低能者に通有のある程度の亢進性はあるとしても、病的に亢進してそれが自白の心理を支配するものではないことを断言し得る。」との意見の記載されていたことが認められる。なお、前顕甲第一三号の二、五によれば、山本勝が同年一〇月三〇日および同年一二月一八日予審判事に対し昭和二一年四月四日夜犯行当初現場のランプは倒れて消えたが、北側の窓から薄明りがさしていたので部屋の様子は判つた。ランプはつけなかつた旨供述したことが認められ、前顕甲第二号証(検証調書)によれば、昭和二一年四月六日実施された本件現場検証の結果、被害現場である八丈島三根村川向無番地石野ヨメ方入口右手三畳の間西側壁に接し布団を二つ折としたものを積み重ね、ヨメの屍体がこの中にあつたこと、その最上部二つ折とされていた四布掛布団の置き方は極めて整然としていたことが記載されていることは認められる。しかし、前顕甲第二号証、乙第五号証の一(第一審公判調書)によれば、右検証調書を作成した警部補渡部定義は、当時、右三畳間に電灯の設備はなかつたが北側に開閉のできない硝子約四枚入り幅三尺長さ約四尺の窓が高さ三尺の箇所に採りつけられていた旨第一審公判廷で供述したことが認められ、昭和二一年四月四日夜右窓からさしていた薄明りで部屋の様子が判つた旨の右供述をありえないとするような証拠は見当らない。

以上の事実関係のもとにおいては、山本勝の本件自白の信憑性は、これを肯定し得る証拠とこれを疑わせ否定すべき証拠とが一審においても二審においても対立していたのであるから、山本の郷村、月日、歴史的事実についての智能、自己、時、周囲、場所についての記憶力、記銘力、意思の影響性についての鑑定の結果と身柄を東京に移された後ことに予審判事に対して詳細な自白をしている事跡に照らし、山本勝の本件自白の信憑性を肯定したからといつて、直ちに採証の法則を誤まり、経験則上合理性が認められないとはいえず、これを証拠に加えて控訴人に有罪判決をしたからといつて違法ということはできない。

四よつて控訴人の請求は、その余の点について判断を加えるまでもなく、失当であり、これと結論を同じくする原判決は正当であつて本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却すべく、控訴費用の負担につき同法八九条、九五条を適用して、主文のとおり判決する。(西川美数 園部秀信 森綱郎)

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